alone in KYOTO
2004年6月28日 気紛れ書き*今日も秘密有り。
airのこの曲が好きで 好きで 好き。
感傷的な時に聴きたくなる。
もしくは これが感傷的な情景や感覚を誘発する。
京都は恋人が住んでいたので この曲を聴くと
私は完全に後者となってしまう。
前の恋人に恋愛感情はないし
ただ今の自分を構成している要素としての存在になってしまっているけれど
愛情とは別に思い出される感情はあって
それを 懐かしむというのかは 正直私にはわからないでいる。
懐かしがるには早い気がするし
愛情を持て余すには情熱が絶対的に欠けているし。
記憶を辿ると 時々客観的に当時の自分を眺めている視点で
今の自分がいることを感じる。
そういう 人事のような感覚。
というのが今のところ一番的確か。
いづれにしてもairのこの曲はタイトルに関わらず
メロディが感傷的でいけない。
いけないけれど いけないから だから聴きたくなる。
痛い歯をぎしぎし噛み締めてしまう
そういう衝動に似ている。
自虐的に自分を詩的に仕立ててしまいたい
そんな日も
365日も日々が続けば一日くらいはあるってわけで。
そういうときにはうってつけだと思う。
こういう感覚はけれどいくつになっても感じていたいと思う。
airのこの曲が好きで 好きで 好き。
感傷的な時に聴きたくなる。
もしくは これが感傷的な情景や感覚を誘発する。
京都は恋人が住んでいたので この曲を聴くと
私は完全に後者となってしまう。
前の恋人に恋愛感情はないし
ただ今の自分を構成している要素としての存在になってしまっているけれど
愛情とは別に思い出される感情はあって
それを 懐かしむというのかは 正直私にはわからないでいる。
懐かしがるには早い気がするし
愛情を持て余すには情熱が絶対的に欠けているし。
記憶を辿ると 時々客観的に当時の自分を眺めている視点で
今の自分がいることを感じる。
そういう 人事のような感覚。
というのが今のところ一番的確か。
いづれにしてもairのこの曲はタイトルに関わらず
メロディが感傷的でいけない。
いけないけれど いけないから だから聴きたくなる。
痛い歯をぎしぎし噛み締めてしまう
そういう衝動に似ている。
自虐的に自分を詩的に仕立ててしまいたい
そんな日も
365日も日々が続けば一日くらいはあるってわけで。
そういうときにはうってつけだと思う。
こういう感覚はけれどいくつになっても感じていたいと思う。
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