自分の生活をあらわす表現として
日々泡々 という言葉を使っている。
けれど なにもボリス・ヴィアンのこの小説に感化されたわけでもなく
なんとなく 銀色夏生に影響されているわけでもない。
ただ単に炭酸水の気泡が浮かび上がっては消えてゆく様を見つめていたら
そうしている自分が お得意の
時間を見送り続けている そんな気になってきて
泡に 自分を見てしまった それだけ。
人間は自由の刑に処せられている
人間は自由に呪われている
なんて サルトルの言葉が常に内在していて
それが生活においての判断基準であったりする。
自分自身にたいしてもだし 人との関わりにおいても。
人は自由で だから選択の自由もある。
でも それらは全て自己責任という名の下において保障されている自由で
選択すること自体 そして選択した結果
それら全て自分の責任なのよね。
きっと無意識にも もちろん意識的にも
なんらかの選択を続けながら日々過していて
何気ないひとことも なにげない動作さえも
もしかすると きっと?
とたんに決済済みの箱にしまわれてゆくのかもしれない。
私は後悔のない人生を送りたいとは思わないけれど
納得のできる人生を送りたいわ☆
日々泡々 という言葉を使っている。
けれど なにもボリス・ヴィアンのこの小説に感化されたわけでもなく
なんとなく 銀色夏生に影響されているわけでもない。
ただ単に炭酸水の気泡が浮かび上がっては消えてゆく様を見つめていたら
そうしている自分が お得意の
時間を見送り続けている そんな気になってきて
泡に 自分を見てしまった それだけ。
人間は自由の刑に処せられている
人間は自由に呪われている
なんて サルトルの言葉が常に内在していて
それが生活においての判断基準であったりする。
自分自身にたいしてもだし 人との関わりにおいても。
人は自由で だから選択の自由もある。
でも それらは全て自己責任という名の下において保障されている自由で
選択すること自体 そして選択した結果
それら全て自分の責任なのよね。
きっと無意識にも もちろん意識的にも
なんらかの選択を続けながら日々過していて
何気ないひとことも なにげない動作さえも
もしかすると きっと?
とたんに決済済みの箱にしまわれてゆくのかもしれない。
私は後悔のない人生を送りたいとは思わないけれど
納得のできる人生を送りたいわ☆
コメント