ロシュフーコー公爵の言葉に
何気に一番納得できることが多い気がする。
「箴言録」は愛読書です。

人は愛している限り赦す

という言葉は 常に私の恋愛観に存在していて
その通りだと思う。

傍から見ていると危うい恋というのが確かにあって。
それは 大抵一方通行な自己犠牲意識の強い恋情である場合が多いのだけれど
私も含めて 渦中にいる間の 冷静さとか客観性なんて
むしろ 自分を否定しているようで 肯定する要素になりえる事も多い。

結局のところ
相手をいくら責めたところで
自分を責めたところで
恋情なんて そうそう自分の意志でどうこうできるものではないと思うし
最後には より大きい好きを持つ方の負けなんだよね。
(勝ち負けというニュアンスで表すならば という意味で)

人は愛している限り赦す。

この言葉に尽きると思う。

でも だからといって
こういう姿勢がその恋を
その恋愛姿勢・思想を正当化するなんの根拠にもならないのだけれどね。

自己犠牲的な愛情も それを自分が認識する程度によっては
押し付けがましくなっていたりするわけで。

相手の事を解った風に心配したり気遣ったり
そういう姿勢は 実は独善的かつ自分に都合の良い解釈だったりしてね。
自分自身も省みて 反省した 小春日和でした。

いろんな人の いろんな恋愛があるもんですね〜。
Mちゃんからの話も然りで。

 

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